カメレオンデイズ

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カメレオンデイズ

7色の顔を持つdoubleMの「非」日常✦ 今日は何して遊ぼっか?

目上の人を褒めちゃダメ!?大人の常識って…ナニソレ食べれるの?

言葉 生き方 遊び

言語系の大学を出た割に、相変わらず「世界で最も好きな言語は日本語!」のdoubleMです。

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今回は非常にプライベートな話ではあるのですが、姉の子供たち(つまり姪っ子&甥っ子)たちによって浄化された私の言葉遣いに関する思い出話エントリです。

最近周りの人から「(言動が)見た目に反してマイルド」とか、「表現が意外と優しい」とか「愛のある毒舌家」とか「芯があるのに甘い声(←なんのこっちゃ)」とか「丸くなった(←外見のことではないことを祈る)」とか言われる私ですが、今振り返ってみると、過去にはこんな表現を使うことが多かったな、と実感しています。

否定型フレーズ→共感型フレーズへ

「(うっわ)○○じゃねーか」(ドン引き)
「(すっげぇ)○○だな。」(評価)
「(ってか)○○じゃん。」(断定)
「(だーから)○○だろ。」(指導)

こう並べてみると、語調の強さもさることながら、全体的に、どこか否定的に響く言葉を多用していましたね(苦笑)

この私の表現が「口が悪い」部類に入ることに気付いたのは、大学に入って方言圏出身の友人たちと話している時でした。「私の言葉遣いが悪い」というよりも、「方言て優しいな」と感じたのを覚えています。

上記のフレーズたちも、そもそも今振り返ってみれば「女がそんな言葉遣いをするな」と批判を浴びそうな言葉遣いですが(苦笑)東京都の中でも、特別「がらっぱち」な口調で有名な下町生まれの私ですから、子供の頃からこういった言葉を使う人たちの中で育ってきたため、この時はまだ、(違和感に気付きはしたものの)改めて「言葉遣いをなおそう」という発想には至りませんでした。

そんな私の元に姪っ子たちがやってきてから。いつのまにか私の使う表現にこんな変化が生まれました。
「(うっわ)○○じゃねーか」(ドン引き)
→「うわー○○だねぇ」(同情)

「(すっげぇ)○○だな。」(評価)
→「とっても○○だねー」(賞賛)

「(ってか)○○じゃん。」(断定)
→「そうなのー?でももしかしたら○○じゃない?試してみよっか!」(提案)

「(だーから)○○だろ。」(指導)
→「そうだったかぁ。じゃあ次は○○にしてみようね。」(応援)

客観的に見ると、随分と「折れる」ことが上手になったなと感じます(笑)
私自身は下町気質であまり辛抱強くない方なのですが、子どもと接していると、「思い通りにならないなぁ;」と感じるシーンに沢山遭遇します。彼らは感情もストレートですから、こちらが嫌な言い方をすれば素直に「嫌だ」とへそを曲げます。

でも、冷静に考えてみればこれは対大人であっても同じお話なんですよね。大人になればなるほど、世間体やプライドが邪魔をしてストレートに表現しなくなる、という傾向にあるだけで、大人だって、心無い言葉を受けて不快に思ったり傷ついたりしているのです。

そんなようなことを悟ってからというもの、私自身の言葉がだいぶストレートに変化しました。…いえ、昔からストレートはストレートだったのですが、、なんというんですかね。。例えば……

二人称「あなた」の話から一人称の「私」の話へ

嫌なことを言われた時。読者の方々はどんな風に対応しますか?私はいかんせん負けん気が強い性分のため、結構真っ向から対決を挑む方です。不平等は許せても理不尽が許せない性質なんですよね。

なので、たとえ上司や目上の人であっても、「なんでそういう言い方なんですか?失礼ですよ」とか「その言動は人として最低ですね」みたいな言葉を発しがちでした。(流石に表現は丸めますが)

これが、幼子たちとの会話では「そんな言い方をしたら(私が)悲しいよ。」とか「おや、意地悪な言い方だね…喧嘩したくて言ってるの?」といった言い回しに変化します。

世界はバイアスに満ちている

今でこそ、「常識」というのは幻想でしかないと考えるようになった私ですが、世の中には未だ「こんなこと知っているのは常識」といった言葉が飛び交っています。

「常識」というのは同じような歴史・文化・言語背景に加え、家庭の状況や学歴など、様々な類似クラスタに属して居る人同士が初めて共有できる魔法のショートカットキーです。それを、別クラスタの人と偶然接触した大人が浅知恵で「常識がない」などと一蹴するのは、そちらのほうがむしろ笑止千万。

それよりはむしろ、(相手が大人であったとしても)「(この言動は)自分にとってはこういう意味を持つんだけど、あなたにとっては違うの?」という確認作業が合ってしかるべきだと思うのです。

悪口を丸める

「馬鹿」とか「アホ」とか「嫌い」とか、そういう言葉を子供たちの前で使わないように意識しました。
この手の悪口は、結局小学生くらいになれば結局テレビや学校で自然と覚えてくるものなのですが、それ以前に無駄に沢山触れされる必要はないと、私の一族は考えています。

そのため、子供たちが生まれる前は「ばっかじゃねーの」とか「これ嫌い」とか言っていた私ですが表現を意図的に丸めた結果「それってヘンテコだね(笑)」とか「これ苦手ー;」とか「好きじゃない」みたいな言い回しを使うようになりました。

常日頃からこういった言葉を使うようになった結果、基本表現が優しくなったようで、「doubleMのフレーズは、自分に正直で良いよね」という評価を得るようになりました。
今まで「死ね!」といっていたシーンで「次やったら絶交だからね!」みたいな表現が出てくる事実に、自分でもちょっと笑えます。

褒め言葉も同様

ここまでは、かつて使っていた悪台詞をいかに丸めたか、というお話ですが、実は褒め言葉も同様です。
姪っ子たちが生まれてからというもの、とにかく人を「褒める」シーンが増えました。
日本文化においては、評価というのは上から下にくだすものであって「目下の人間が目上の人間を褒めてはならない」という暗黙の「常識」が存在します。でも、褒められて嫌な人って、本当はいませんよね。

先日@はっしーさんのこちらの記事を読んで、実は同じように感じている人って世の中にたくさんいるんだなぁと実感しました。
nzmoyasystem.hatenablog.com

責任追及ばかりされる日本の大人ですが、もっとお互いを認め合えるようになりたいものですね。

まとめ

ちょっぴり支離滅裂なエントリになってしまいましたが、言いたいことは簡単です。
 子供が嫌なことは大人も嫌、子供が喜ぶことは大人だって嬉しい
 議論をする時は自分の感情をストレートに伝えよう
 賞賛の言葉も素直に伝えたらいいじゃない

「それでもやっぱり目上を褒めるのは…」と感じるあなたにはこのフレーズがオススメです。
「(こんなことができるなんて)○○さん、天才なんじゃないですか!?」

ちなみにこれ過去に何度も言ってみたことがありますが、笑われこそすれ怒られたことは一度もありません。
ぜひ使ってみてくださいな(^_-)