カメレオンデイズ

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カメレオンデイズ

7色の顔を持つdoubleMの「非」日常✦ 今日は何して遊ぼっか?

「プロ」と「アマチュア」の間【B'z vs AKB問題について考えてみた】

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音楽を心から愛しすぎたために、いまデザイナーをやっています。doubleMです。
否応なしに過去を振り返ることを意識させられる時期が訪れたので、今日は少し、真面目なお話です。

「趣味を仕事に」することが良いのか悪いのか。いつの時代になっても、この議論は終わりを迎えませんね。

結論から言うと、個人的には「趣味をお金に(※仕事ではない)」するのは楽しいです。が、最終目的として「プロの仕事」がしたければ「趣味から仕事に」ではなく最初から「仕事」として始めた方がブレないんじゃないだろうかと考えています。



趣味とは何か、仕事とは何か

こういった問題について考えるとき、必ずやるべきなのが「言葉の定義」の認識合わせ。言葉とは便利なようでいて、時に非常に不便な側面を持ち合わせていて、同じ表現を使ったとしても人によって全く解釈が異なる、といった事態を引き起こしがちです。

さて、今回私は趣味や仕事に対して、こんな定義をしてみようと思います。

趣味とは

時間とお金を費やして、自分の「楽しみ」の範疇で行なう(自己表現)活動。それを他者に公開する場合でも、金銭を含む見返りを基本的には求めていない。

仕事とは

自分の時間や時にはお金を費やして習得したスキルを他者に対して提供する行為。基本的には、スキル提供そのものの見返りとして、金銭やあるいはそれに見合う同等の対価を受け取る前提に基づいて行なう活動のこと。

つまり趣味を仕事に…とは

「自分が楽しむことを目的としていた、金銭を顧みない遊び」を、「収益を得ることが目的のビジネス」に変化させていくことを指します。
この自覚がないままに、趣味感覚のまま「仕事」をすると、世知辛い大人の世界を見てピュアな心が汚された気分になりがちです。

日本人にとって、お金とは?

「宵越しの金は持たない」とか、「武士は食わねど高楊枝」などの言葉にも顕れているように、日本人には古くから「お金について言及しない、執着しないことが美徳」という価値観が備わっているようです。そのため、人は「ビジネス」つまり、対価を得ることを前提とする活動に対して消極的になりがちです。

2015年は、「稼げる」プラットフォームが大流行しました

you tuberやニコニコ動画の歌い手さん、小説家になろう!発の作家さん、LINEスタンプのイラストレーターさん、そして広告運用で稼いでいるプロブロガーさんなど、2015年はまさに「趣味で稼ぐ」ためのプラットフォームが大流行した年でした。このトレンドはおそらく、来年になっても続くでしょう。
私も便利に使わせていただいているものではありますが、少し乱暴な言い方をすると、私はこれらのシステムを「アマチュア養成所 兼 プロ発掘所」だと考えています。

LINEスタンプは別ですが、先ほど例に上げた殆どのサービスは「基本無料」で成立しており、動画撮影主や執筆者はそのアウトプットに対して直接の収益を受けているわけではありません。彼らはプラットフォーム上の広告収入や月額契約へ貢献したためにサービス提供会社からインセンティブを受けているに過ぎません。動画なら動画、小説なら小説というコンテンツを販売しているわけではない、という意味で、趣味を「仕事に」ではなく、趣味を趣味のままにした状態で、収益を得ていると言えるでしょう。

プロとアマチュア

「手に職」系の仕事に就いていると、「趣味と仕事」と同じくらい議題に登りやすいのが「プロ」か「アマチュア」か。これを自己評価だと考える人もいれば、他者評価だと考える人も居るのが面白いところです。中には「自分のスキルを提供した相手から1円でももらえたならば、それはプロだ」という人もいますよね。
個人的には、プロとアマの差は「自己意識」の違い、だと思っています。

プロとは

私の中では自分の活動を「仕事」と捉え、確かなクオリティのものを確かなスキルで提供する自負があり、それに対して妥当な報償を受け取ることが出来る自覚があれば、それはプロ。

アマチュアとは

逆に「自分の活動はお金を支払っていただくには及びません。自分が楽しむために行なっているのです。」と感じている人はアマチュアと呼んで良いのではないかと思っています。これは、メインで提供しているスキルそのものによって収入を得ていない場合も同様です。

アマチュア養成所兼プロ発掘所

上記の定義で言うと、例えばネットで小説を書いて無料で公開、広告収入で稼いでいらっしゃる作家さんは、(どんなに稼いでいたとしても)アマチュア作家さんだということになりますし、仮に自主出版だとしても自分の書いている「小説」そのものを販売している人はプロの作家さんということになります。
この考え方で行くと、先ほど例に上げたプラットフォームは「趣味」は「趣味」のまま、別のルートで収入を得る方法を提示する、アマチュア養成所といえます。逆に、「小説家になろう」などは、そもそもがプロになる力量のある人を「買い上げ」て、プロへの道を敷く環境。そういう意味では同時に、プロの発掘所だと言えるでしょう。

ですから、そもそもプロになる力量がある人が、足がかりのために利用する分には良いのですが、一方でアマチュアが大企業のいいように利用されてしまうリスクも考慮しておくべきだと思っています。

デザインとアート

少し話が脱線しているような気がしなくもないですが、デザイン業界でよく同様の議論になるのが「デザインとアート」に関するテーマ。個人的には、「デザイン」と「アート」は全くの別物だと考えていますが、他の業種の人からは結構な確率で混同されがちです。

デザイン

デザインは、他者の考えやアイデアを「デザイナー」というフィルター(知識やスキル)を通して体現してあげるもの、だと私は考えています。ですから、自分的には「こうしたほうが絶対いいのになぁ」と思ったとしても、(もちろん提案はしますが)最終決定権はクライアントにあります。つまり、完全に「仕事」として割り切って行なっている活動ですね。時々ここを誤って我を通してしまうデザイナーがいるのですが、大抵の場合「人のお金で"自分の作品"を作るな」などと言われてしまう結果になります。

アート

一方で、アートの場合は少し複雑です。「アーティスト」は誰かに発掘されるまでの間は、「趣味」の自己表現活動を行なっているのが普通です。そこから、ファンやクライアント、スポンサーがつくことによって「自分のための表現」を続ける人と、「他者のための表現」にシフトしていく人とに分かれていきます。

よくあるアーティストの苦悩、というか、「アイデンティティの乖離」みたいなものはここから生まれるのではないかな、と想像しています。

ここで先ほどの「プロ」と「アマチュア」の差が出てくるのですが、私の中では、「プロのアーティスト」はどんなに多くのファンや大きなスポンサーがついたとしても、最終的には「自分の表現」を追求した「作品」を売る人の事だと考えています。逆に「アマチュアのアーティスト」は「他者のニーズ」を反映した「商品」を売る人のことだと考えています。
※このベクトルによる分類では、世間一般の評価として「売れてる」か「売れていないか」を基準にしていない点にご注意ください。

アイドルとアーティストのランキングにみる、両者の違和感

例えば先日炎上した、「AKBが、B'zの売上を抜いた」件に関する問題は「アイドル」と「アーティスト」を同じ土俵で扱ったことによって発生している、という見方が一般的なようです。

先ほどの定義に当てはめていくと、(収益に関わらず)アイドルという存在はそもそも、「アマチュアのアーティスト」に位置づけられます。彼女たちは「音楽」そのものを売り物にしているわけではなく、その周辺価値で収益を得ているからです。
つまり、AKBとB'zを横並びに比較することは、(先ほどの定義で言う)「プロのアーティスト」と「アマチュアのアーティスト」の比較をしている構図になるため、多くの人が違和感を感じる結果を生みやすいのだと言えるでしょう。

しかし、少々ややこしいお話ですが、他人の作ったアイドル観、他人の作った楽曲や歌詞、他人の喜ぶスキャンダル…それらを他人の希望通りに体現するAKBは「プロのアイドル」です。

更に視点を変えると、彼女たち自身はイメージ戦略含め、トータルプロデュースをしている秋元康氏の「作品」ともよべる存在です。
AKBとは、彼女たち自身が「作品」を作っているアーティストというより、パッケージ化されたプロのアイドル(=アマチュアアーティスト)という「商品」として売られているのです。

この、「作品を生み出すアーティストVS商品として売られているアイドル」という構図が、今回世論を大きく掻き乱す役割を働きました。

もし今回の議論で双方のレイヤーを揃えるのであれば、
B'zの作品(楽曲) VS 秋元康氏の作品(AKB)
B'zの提供する楽曲 (=作品)VS AKBの提供する楽曲(=商品)
という形で議論をすべきだったのかもしれませんね。
きっと、秋元康氏の商業向けプロデュース力が秀でていた、という意味では、B'zファンもそれを否定はしないと思うのです。そして楽曲評価に関しては…自明過ぎて私が口を出すまでも無いでしょう。

doubleMはこう考えています

なんだかまとまらない文章になってきました。
私は、音楽が好き過ぎて好き過ぎて、また、偉大なるアーティスト(バンドマン)たちを尊敬しすぎたあまり、自分が「彼らと対等の金銭的対価を受け取るべきである」という自負が持てなかったため、音楽から離れました。逆に、(好きは好きだったのですが)デザインのことを何も知らずに、はじめから「仕事」としてデザイナーを始めたために、少しのアイデンティティの乖離もなくデザイナーとしての職業に従事することができています。

もっと早い段階でこのことに気付けていたら、バンドマンとしてずっと活動を続けられていたんじゃないかな、と思う反面、一度離れたからこそ知ることのできた「境界線」があったと考えると、現状もまた悪くはないのかなと考えています。

個人的には今後はもっと「プロのアーティスト(あるいはクリエイター)」を名乗っていきたいなと考えていて、「人のための表現」ではなく「自分のための表現」にする方向シフトして行きたいですし、「商品」ではなくて「作品」を世に出していきたいなと思っています。
そして、それらすべてが腑に落ちたところで、来年から今一度音楽活動を再開する覚悟をようやく決めることができました。

良いことも悪いこともありましたが、悔いることのない毎日を過ごした2015年が、じきに終わりを告げようとしています。
さぁ、来年はどんな自分を生きましょうかね。